金地院崇伝 (こんちいん すうでん)
金地院崇伝(1569ー1633)は、江戸初期の臨済宗の学僧。京都の人。字は以心、諡号は円照本光国師。一色秀勝の子。徳川家康の側近。
幼くして京都の南禅寺の玄圃霊三について修行し、靖叔徳林の法を嗣ぐ。慶長10年(1605)南禅寺住持となる。幕府に用いられて僧録司となり、外国文書をつかさどり、禁中並公家諸法度・武家諸法度・寺院法度・キリスト教禁制・紫衣事件などに関与し、「黒衣の宰相」と呼ばれた。著に「異国日記」や「本光国師日記」などがある。
金地院崇伝(1569ー1633)は、江戸初期の臨済宗の学僧。京都の人。字は以心、諡号は円照本光国師。一色秀勝の子。徳川家康の側近。
幼くして京都の南禅寺の玄圃霊三について修行し、靖叔徳林の法を嗣ぐ。慶長10年(1605)南禅寺住持となる。幕府に用いられて僧録司となり、外国文書をつかさどり、禁中並公家諸法度・武家諸法度・寺院法度・キリスト教禁制・紫衣事件などに関与し、「黒衣の宰相」と呼ばれた。著に「異国日記」や「本光国師日記」などがある。