土佐光貞 (とさみつさだ)
土佐光貞(1738年〜1806年)は京都に生まれた日本画家。
土佐光芳次男。本家とは別に一家を立て、禁裏絵所預となる。
寛政度御所造営においては清涼殿に障壁画を描いた。
西本願寺晟章殿に「浜松図」天袋貼付、天寧寺に勝山琢舟との合作を残した。
土佐光貞(1738年〜1806年)は京都に生まれた日本画家。
土佐光芳次男。本家とは別に一家を立て、禁裏絵所預となる。
寛政度御所造営においては清涼殿に障壁画を描いた。
西本願寺晟章殿に「浜松図」天袋貼付、天寧寺に勝山琢舟との合作を残した。