新島襄 (にいじまじょう)
新島襄(1843~1890)は、江戸に生まれた明治時代の教育家。
元治元年(1864)、箱館からアメリカに密航してアーモスト・カレッジで理科学を学び,アンドーヴァー神学校でキリスト教の教義に接し、さらに岩倉使節団に随行して欧米の教育事情を視察。帰国後、京都にキリスト教主義教育を目指した同志社英学校(のちの同志社大学)を創設した。
妻は「幕末のジャンヌ・ダルク」「日本のナイチンゲール」と呼ばれた新島八重(山本八重)である。
新島襄(1843~1890)は、江戸に生まれた明治時代の教育家。
元治元年(1864)、箱館からアメリカに密航してアーモスト・カレッジで理科学を学び,アンドーヴァー神学校でキリスト教の教義に接し、さらに岩倉使節団に随行して欧米の教育事情を視察。帰国後、京都にキリスト教主義教育を目指した同志社英学校(のちの同志社大学)を創設した。
妻は「幕末のジャンヌ・ダルク」「日本のナイチンゲール」と呼ばれた新島八重(山本八重)である。