佐藤一斎 (さとういっさい)
佐藤一斎(1772~1859)は、江戸に生まれた江戸後期の儒学者。
初名は信行、のちに坦(たいら)。通称は幾久蔵。字は大道。別号に愛日楼、老吾軒など。
朱子学や陽明学に通じ、幕府の学問所「昌平黌」の儒官を務めた。門下生には佐久間象山、山田方谷、渡辺崋山など、幕末に活躍した人材が多い。
著書には、一斎が後半生の40余年にわたって書いた『言志四録』があり、指導者のための指針の書とされる。
佐藤一斎(1772~1859)は、江戸に生まれた江戸後期の儒学者。
初名は信行、のちに坦(たいら)。通称は幾久蔵。字は大道。別号に愛日楼、老吾軒など。
朱子学や陽明学に通じ、幕府の学問所「昌平黌」の儒官を務めた。門下生には佐久間象山、山田方谷、渡辺崋山など、幕末に活躍した人材が多い。
著書には、一斎が後半生の40余年にわたって書いた『言志四録』があり、指導者のための指針の書とされる。