頼山陽
芳野懐古七絶
Rai Sanyo
calligraphy
掛け軸 絹本 124cm×47cm(総丈206cm×62cm)頼潔箱書
作品の状態について
画面、表装ともに良い状態です。
当時の京都の中心的人物です。山陽を中心に中国書画の研究や煎茶の文化が広がりました。現在では本物の価格が偽物の価格と同じ様な価格になっています。
良い頼山陽の作品を手に入れるのは今が良い時期だと考えています。
疊々春山別有天花開花落鎮
依然可憐萬樹香雲暖曽
護南朝五十年 山陽外史
(読み)
畳々たる春山 別に天有り、花開き花落ち 鎮として依然たり。
憐むべし万樹 香雲暖かに、曽(かつ)て護る 南朝の五十年。 山陽外史。
○別有天 別天地の意。 ○香雲 桜花。
(大意)
重なりあった春の山々、桜花の咲きみだれる吉野山は、全く塵界を離れた別天地である。この別天地に、花は開いて落ち、落ちては開き、幾十百年の歳月は流れて、今に依然として静かである。それにつけて思い起こすのは、これら幾千幾万とも数知らぬ桜花が、かつて南朝の五十年を心暖かくて護っていたことである。それを思うと、この桜花がこの上なく愛おしいものに感ぜられる。
(印章)
・「頼襄」白文方印
・「頼子成」白文方印
・「彫蟲」朱文長方印
木崎愛吉 輯注『頼山陽詩集』(淳風書院、1930年)に収められる「遂奉遊芳埜」(遂に奉じて芳埜に遊ぶ)と題した四首のうちの一つが揮毫されています。
この詩は、頼山陽48歳の文政10年(1827)3月20日、吉野山での作です。3月20日に母と叔父の杏坪を奉じて吉野山に花見をしに登り、翌日は快晴の山を再び見物しながら竹林院で小酌、一目千本で酒飯、蔵王堂や後醍醐帝陵などに詣でて宿へ帰り、22日に下山し、初瀬・奈良・宇治を経て25日に京寓へ帰りました。(Y)
作家について
頼山陽(1780~1832)は、頼春水の長男。広島藩の藩儒となった父から、厳しく育てられた山陽は若い頃から奇行に走り、やがて脱藩、京へ出て塾を開いた。山陽の周辺には木米、田能村竹田、岡田半江、浦上春琴など...
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