滋賀県で古美術品を買取り中。掛け軸・骨董品等の無料鑑定・査定も。
当店は、滋賀県で古美術品・骨董品の無料査定や買取を積極的に行っております。
当店では、日本美術の書画・掛軸、屏風をはじめ、お茶道具や絵画(日本画・洋画)、中国美術・朝鮮美術など、美術品全般の買取が可能です。
店頭での鑑定・買取はもちろん、電話・インターネットでの無料査定や、無料の出張鑑定、郵送での買取も行っていますので、お気軽にご利用ください。
また、納得してお売りいただきたいので、他のお店との相見積も歓迎しております。
買取・査定について詳しくは下記のページをご覧ください。
美術品を高く売るには
最近はインターネットを使った無料鑑定や、無料の出張買取、郵送での買取といった方法も利用できますので、品物を高く売却するためには、あまりお店の地域にこだわらず、複数のお店に査定してもらってから、高く買ってくれるお店を選ぶことをおすすめします。
当店では他店との相見積も歓迎しておりますし、インターネットや電話での簡易鑑定も可能ですのでお気軽にご利用ください。
なお、美術品を高く売るためのお店の選び方については下記のページでより詳しく解説しております。
滋賀県で無料出張が可能な地域
当店では滋賀県全域で無料の出張査定・買い取りが可能となっております。
大津市、草津市、近江八幡市、野洲市、栗東市、守山市、甲賀市、東近江市、米原市、彦根市、長浜市、湖南市、高島市、甲良町、多賀町、豊郷町、日野町、愛荘町、竜王町など滋賀県内の全域で、無料の出張査定・買い取りが可能です。
また、大阪府や兵庫県、京都府、奈良県、和歌山県など関西全域へも無料で出張いたします。
出張にて無料で査定・買取させていただくことも可能ですし、壊れにくい品物であれば郵送での査定・買取も可能です。
また、インターネット・電話での無料簡易鑑定も行っており、査定額にご納得いただけない場合はキャンセルも自由ですので、お気軽にご利用ください。
買取り対象の美術品・骨董品
書画・掛け軸、屏風、巻物・絵巻、色紙・短冊、お茶道具、日本画、洋画、書・墨跡、近世絵画、文人画、禅画、仏教美術、大和絵(やまと絵)、水墨画、浮世絵、版画、西洋絵画、西洋美術、中国骨董(中国美術)、朝鮮美術など、美術品全般を積極的に買取っております。
・上記以外の美術品・骨董品につきましても、お気軽にお問い合わせください。
・お手持ちの品物が買取対象かご不明な場合も、お気軽にお問い合わせください。
滋賀県にゆかりの作家の作品も積極的に買取り中です。
当店では、滋賀県にゆかりのある、江馬天江、小倉遊亀、岸竹堂、紀楳亭、山元春挙、山元桜月、野口謙三等の作品も積極的に買取っております。(※上記の作家以外の作品も幅広く取り扱っています。)
江馬天江(えま・てんこう)
1825(文政8年)~1901(明治34年)幕末から明治の書家・漢詩人・医師。近江(滋賀県)に生まれる。儒者・下坂篁斎の六男で、文人で勤皇家の淡海槐堂(板倉槐堂)は実兄。21歳の時に仁和寺宮侍医である江馬榴園(りゅうえん)の養子となった。その後、大坂で、緒方洪庵に蘭学、梁川星巌に詩文を学んだ。明治維新後は政府の太政官吏官となるが、1年で辞して京都に戻り、明治2年に設立された私塾立命館の塾長となった。多くの文人と交流があり、「賞心贅録」「古詩声譜」などの著作も残している。
小倉遊亀(おぐら・ゆき)
1895(明治28年)~2000(平成12年)大正から平成の日本画家。滋賀県大津市に生まれる。旧姓は溝上。近代的な画風で人物や花鳥を描いた日本を代表する女性画家。大正6年に奈良女子高等師範(現・奈良女子大学)を卒業して教師となったが、大正9年から安田靫彦に師事した。大正15年には「胡瓜」で院展に初入選し、昭和7年に女性初の日本美術院同人となった。昭和11年には院展に代表作「浴女」を出品し、同年に山岡鉄舟門下の小倉鉄樹と結婚している(6年後に死別)。その後、昭和29年に「O夫人坐像」で第4回の上村松園賞、昭和37年に「母子」で日本芸術院賞を受賞している。そして、昭和51年から芸術院会員、昭和53年から日本美術院理事(平成2年から理事長)、昭和55年には女性としては3人目となる文化勲章を受章している。
岸竹堂(きし・ちくどう)
1826(文政9年)~1897(明治30年)幕末から明治の日本画家。近江国彦根(現・滋賀県彦根市)に生まれる。本名は寺居昌禄。別号に残夢・虎林・真月・如花など。父は彦根藩士。彦根藩の絵師に学んだあと、16歳の頃に京に出て、狩野派の狩野永岳に入門した。その後、永岳から離れ、岸派の岸連山に師事し、養子となった。一時は、御所や二条城の障壁画を描くなど活躍したが、幕末の混乱期には絵師としての仕事がなくなり、生活のために京友禅の下絵などを描いた。その後、明治13年に京都府画学校の教員となり、明治17年の第二回内国絵画共進会と大阪絵画品評会、明治23年の第三回内国勧業博覧会、明治26年のシカゴ万国博覧会などで受賞を重ね、明治29年から帝室技芸員になるなど、京都画壇の中心的な存在として活躍した。虎をはじめとした鳥獣画や風景画を得意とし、代表作に「猛虎図」「月下猫児図」「大津唐崎図」などがある。
紀楳亭(きの・ばいてい)
1734年(享保19年)~1810年(文化7年)江戸時代中期の日本画家。別号に梅亭・九老・楳華など。名は時敏、字は子恵、通称を九兵衛。山城国(京都府)に生まれる。文人・岩城藍田の家僕として働いていたが、藍田に画の才能を認められ、藍田の友人である与謝蕪村に師事した。その後、天明8年に大津に移り住み、近江蕪村とも呼ばれた。画風は師である蕪村を受けついでおり、山水画や戯画を得意とした。画集に「九老画譜」、句集に「梅亭発句集」がある。ちなみに、楳亭は画号で、梅亭は俳号、九老は使用した号である。
山元春挙(やまもと・しゅんきょ)
1872(明治4年)~1933(昭和8年)日本画家。滋賀県大津市に生まれる。別号に一徹居士、本名は金右衛門。はじめ四条派の日本画家である野村文挙に師事。その後、文挙の師である森寛斎の元で学び、明治19年に京都青年絵画共進会に出品した作品が褒状となる。明治24年に青年絵画懇親会を竹内栖鳳や菊池芳文らと結成、明治27年には如雲社の委員となった。明治32年からは京都市立美術工芸学校の教諭となり、明治33年からは画塾同攻会(後の早苗会)を主宰、京都市立絵画専門学校でも明治42年の設立から教諭を務め、後に教授となった。多くの後進を指導し、門下には川村曼舟、小村大雲、庄田鶴友、服部春陽などがいる。文展では明治40年の開設から審査員を務め、大正6年から帝室技芸員、大正8年から帝国美術院会員。風景画を得意とし、代表作は「雪松図」「塩原の奥」など。京都画壇の重鎮として竹内栖鳳らと並び称された。
山元桜月(やまもと・おうげつ)
1887(明治22年)~1985(昭和60年)日本画家。滋賀県に生まれる。本名は三郎。初号に春汀。明治33年から母方の伯父である山元春挙の元で画を学び、春汀の号をもらう。大正3年の第8回文展に出品した「奔流」が初入選し、以後、文展・帝展で入選を重ね、昭和3年からは帝展で無鑑査となるが、昭和10年に帝展を退会して、画号も桜月と改めた。その後は画壇から距離をおき、昭和15年には山梨県の山中湖畔に移住して、富士山を描き続けた。
野口謙蔵(のぐち・けんぞう)
1901(明治34年)~1944(昭和19年)洋画家。滋賀県蒲生郡(現・東近江市)に生まれる。女流画家の野口小蘋は叔父の妻。大正8年に東京美術学校(現・東京芸大)の西洋画科に入学し、黒田清輝・和田英作に洋画を学んだ。大正13年の卒業後は故郷の蒲生郡に戻り、平福百穂に師事して日本画を学んだ。その後、昭和3年の帝展に出品した「庭」が初入選、以後の帝展でも「梅干」「蓮」が連続入選し、昭和6年に「獲物」、昭和8年に「閑庭」、昭和9年に「霜の朝」が特選となるなど出品を続け、新文展では審査委員も務めた。また、槐樹社展や東光会にも出品しており、昭和9年には東光会会員となっている。なお、滋賀県東近江市に野口謙蔵記念館がある。
当店での鑑定・買取りについて
当店では、日本美術の書画・掛軸、屏風をはじめ、お茶道具や絵画、中国美術・朝鮮美術など、美術品全般の買取と販売を行っております。
ホームページに掲載している作品以外にも数多くの在庫があり、国内外の愛好家・コレクターや美術館などへの販売ルートがあるため適正な価格での買取が可能となっております。
また、当店が専門外で高く買取れない品物の場合でも、信頼できる古美術商・骨董商の紹介など、適正な価格で売却するためのご相談に応じさせていただきますので、美術品の売却をご検討の場合は、どんな品物でもお気軽にご相談ください。
当店の買取は、秘密厳守、現金での即金買取が基本ですが、買いとり方法にご要望がある場合は、可能な限りご希望に沿った方法で行わせていただきますので、遠慮なくお申し付けください。