狩野勝川院雅信 (かのうしょうせんいんただのぶ)
狩野勝川院雅信(1823-1880)は、幕末~明治時代に活躍した狩野派の画家。
狩野晴川院養信の長男。父をついで木挽町狩野家の10代目にして最後の当主となった。幕府の御用絵師を務め、法印にも叙されている。
父と共に江戸城本丸の障壁画制作に携わった他、明治維新後には延遼館の障壁画制作などにも従事した。
また、狩野芳崖、橋本雅邦ら日本画革新運動を指導する画家も育成した。
幼名は栄次郎。号は素尚斎。
狩野勝川院雅信(1823-1880)は、幕末~明治時代に活躍した狩野派の画家。
狩野晴川院養信の長男。父をついで木挽町狩野家の10代目にして最後の当主となった。幕府の御用絵師を務め、法印にも叙されている。
父と共に江戸城本丸の障壁画制作に携わった他、明治維新後には延遼館の障壁画制作などにも従事した。
また、狩野芳崖、橋本雅邦ら日本画革新運動を指導する画家も育成した。
幼名は栄次郎。号は素尚斎。