狩野晴川院養信 (かのうせいせんいんおさのぶ)
狩野晴川院養信(1796~1846)は、奥絵師である江戸木挽町狩野家9代目で、狩野栄信の長男として寛政8年に生まれた。父のもとで学び文政2年に法眼に叙せられ、また、天保4年には法印の位にもついている。文政11年に家督を継いでいる。江戸城西の丸が炎上焼失した際には神殿の御画御用頭取となって殿内の障壁画などを描き、さらに天保12年にこの年没した徳川家斉公の肖像を制作している。
特に天保15年の江戸城障壁画の制作にあたっては狩野永徳風の巨松を再現したという。狩野派最後の大家などと評される。