山元春挙 (やまもとしゅんきょ)
山元春挙(1872-1933)は、滋賀県に生まれた明治-昭和時代前期の日本画家。
竹内栖鳳と並び称された京都画壇の重鎮であった。
野村文挙、森寛斎に円山派の教えを受ける。
森寛斎は「春挙のあの勉強振は偉い、あれが長続きするならば、遂に俺を負かしよるだろう。」と語っという。
写生に基づく繊細な筆致で、雄大な風景画を描いた。
また洒脱な趣味人として知られ、登山や写真撮影に熱心であった。
文展審査員、京都市立絵画専門学校教授を歴任。
本名は金右衛門。別号に一徹居士。
「塩原の奥」「捨骼拾髄」「雪松図」などの作品がある。