斉藤秋圃 (さいとうしゅうほ)
斉藤秋圃(1768~1859)は、京都に生まれる。絵をよくし、席画をさせたところ「筆意甚だ妙」だったという。享和3年に「葵氏艶譜」、文化2年に「つはものつくし」を刊行、絵本絵師、風俗絵師として活躍していたが、同年、福岡藩の支藩、秋月藩に召され、御組外絵家業を仰せつけられる。文政11年に隠居。その後家督を譲った長男が江戸で出奔したため、責任をとって禄を離れた。それ以後は大宰府や博多を拠点に、町絵師として活躍した。
斉藤秋圃(1768~1859)は、京都に生まれる。絵をよくし、席画をさせたところ「筆意甚だ妙」だったという。享和3年に「葵氏艶譜」、文化2年に「つはものつくし」を刊行、絵本絵師、風俗絵師として活躍していたが、同年、福岡藩の支藩、秋月藩に召され、御組外絵家業を仰せつけられる。文政11年に隠居。その後家督を譲った長男が江戸で出奔したため、責任をとって禄を離れた。それ以後は大宰府や博多を拠点に、町絵師として活躍した。