狩野洞雲 (かのうどうしゅん)
狩野洞雲(1625~1694)は、彫金家の後藤家の子として生まれたが、11歳の時、狩野探幽の養子となった。幼い頃から松花堂昭乗に書を学び、絵を好んだとする資料がある。探幽に実子が生まれたのち、万治2年、別家を成した。同年の江戸城本丸障壁画制作に参加。
寛文7年には江戸駿河台に末屋敷を拝領、洞雲に始まる駿河台狩野家は、表絵師の筆頭格となる。御所造営には、寛永度をはじめ、承応度、寛文度、延宝度と四度参加。元禄4年には法眼に叙された。
狩野洞雲(1625~1694)は、彫金家の後藤家の子として生まれたが、11歳の時、狩野探幽の養子となった。幼い頃から松花堂昭乗に書を学び、絵を好んだとする資料がある。探幽に実子が生まれたのち、万治2年、別家を成した。同年の江戸城本丸障壁画制作に参加。
寛文7年には江戸駿河台に末屋敷を拝領、洞雲に始まる駿河台狩野家は、表絵師の筆頭格となる。御所造営には、寛永度をはじめ、承応度、寛文度、延宝度と四度参加。元禄4年には法眼に叙された。