吉雄常三 (よしおじょうさん)
吉雄常三(1787-1843)は、長崎に生まれた江戸後期の蘭学者・尾張藩医。
阿蘭陀通詞である吉雄耕牛の孫。長崎を出たのちに羽栗洋斎と称し、名を費または発と言った。江戸、大坂をまわり、その途中に名古屋に留まり私塾観象堂を経営、翻訳や医療に従事。蘭学を講じて弟子の育成に力を注いだ。
著書に『六格前篇』『和蘭内外要方』などがある。
諱は尚貞、字は伯元、通称は俊蔵のち常三。号に南皐・観象堂など。
吉雄常三(1787-1843)は、長崎に生まれた江戸後期の蘭学者・尾張藩医。
阿蘭陀通詞である吉雄耕牛の孫。長崎を出たのちに羽栗洋斎と称し、名を費または発と言った。江戸、大坂をまわり、その途中に名古屋に留まり私塾観象堂を経営、翻訳や医療に従事。蘭学を講じて弟子の育成に力を注いだ。
著書に『六格前篇』『和蘭内外要方』などがある。
諱は尚貞、字は伯元、通称は俊蔵のち常三。号に南皐・観象堂など。