青柳高鞆 (あおやぎたかとも)
青柳高鞆(1840-1892)は、下総に生まれた国学者・祠官。
名は義尊・義貫、通称建之助、号は鼎斎。平田国学の影響を受け、京都で足利氏木像梟首事件に加わり捕らえられる。維新後,鹿島神宮少宮司などをつとめ、「やまと叢誌」を刊行。
「祝詞正解」「玉鉾百首略解」などの作品がある。
青柳高鞆(1840-1892)は、下総に生まれた国学者・祠官。
名は義尊・義貫、通称建之助、号は鼎斎。平田国学の影響を受け、京都で足利氏木像梟首事件に加わり捕らえられる。維新後,鹿島神宮少宮司などをつとめ、「やまと叢誌」を刊行。
「祝詞正解」「玉鉾百首略解」などの作品がある。