呉昌碩 (ごしょうせき)
呉昌碩(1844〜1927)は中国の清朝末期から近代まで活躍した画家・書家・篆刻家で、中国近代で最も優れた作家の1人とされている。
名は俊、俊卿。字は倉石、蒼石、昌碩。号は缶盧、大聾、苦鉄など。
幼少から私塾に通い勉学に励んだが、太平天国の乱によって一家は離散し、17歳から21歳まで凄惨な放浪生活を強いられた。56歳で安東県(江蘇省)の知事になったが、腐敗した官界に耐えられず1ヶ月で辞職。
その頃すでに名は広く知られており、呉昌碩は書画篆刻で生計を立て、84歳で没するまで個性的な作品を作り続けた。