杉田玄白 (すぎた げんぱく)
1733~1817
若狭小浜藩医の家に生まれる。玄白は通称で、諱は翼(たすく)、字は子鳳。鷧斎と号し、晩年には九幸翁の別号も用いた。
『解体新書』の出版、『蘭学事始』の著者として有名である。
積極的に家業としての医学修業に精進するようになったのは17、8歳に達した頃からで、儒学を宮瀬龍門に、医学を西玄哲に学んだ。
宝暦3年(1753)に藩医として召し出され、同7年(1757)に江戸日本橋通4丁目に開業し、明和2年(1765)には藩の奥医師に昇進する。