歌川芳郷 (うたがわよしふさ)
歌川芳郷(1844~1901)は、13歳の時に国芳の門人となり、国芳没後は二代鳥居清満の門に入り、鳥居清貞の名で活動した。ほかに蜂峰の号がある。鳥居派は江戸歌舞伎の絵看板や番付や「歌舞伎十八番 九代目市川団十郎」などの錦絵を手がけている。
子の長吉は四代清忠となり、鳥居派七代を継承した。
歌川芳郷(1844~1901)は、13歳の時に国芳の門人となり、国芳没後は二代鳥居清満の門に入り、鳥居清貞の名で活動した。ほかに蜂峰の号がある。鳥居派は江戸歌舞伎の絵看板や番付や「歌舞伎十八番 九代目市川団十郎」などの錦絵を手がけている。
子の長吉は四代清忠となり、鳥居派七代を継承した。