市河寛斎 (いちかわかんさい)
市河寛斎(1749~1820)は、上野国甘楽郡の生まれ。名は世寧、字は子静。寛斎のほか半江、江湖、詩老などの号がある。通称小左衛門。父、蘭台は細井広沢の門人で書を得意とした。林正良の門で経史を学び、昌平黌で教授にあたって、学頭となる。寛政3年(1791)、転じて富山侯に仕えた。江湖詩社を主宰してその門下には柏木如亭や大窪詩佛ら江戸後期を代表する詩人が出た。書家と知られる米庵はその子である。
市河寛斎(1749~1820)は、上野国甘楽郡の生まれ。名は世寧、字は子静。寛斎のほか半江、江湖、詩老などの号がある。通称小左衛門。父、蘭台は細井広沢の門人で書を得意とした。林正良の門で経史を学び、昌平黌で教授にあたって、学頭となる。寛政3年(1791)、転じて富山侯に仕えた。江湖詩社を主宰してその門下には柏木如亭や大窪詩佛ら江戸後期を代表する詩人が出た。書家と知られる米庵はその子である。