月船禅慧 (げっせんぜんね)
月船禅慧(1701~1781)は、奥州田村郡小野村(福島県)の生まれ。幼くして三春町の高乾院の北禅和尚に従って出家し、各地を巡って修行に励んだ。再び高乾院に戻って10年を過ごしたのち、武蔵国永田(横浜市)の宝林寺の東輝庵に移って民衆に親しんで禅を広めた。特に近在の子どもを集めて文芸などの指導にあたり、それを通して仏に帰依するものが少なくなかった。月船のもとに参禅するものは多く、誠拙周樗、物先海旭(もっせんかいきょく)、仙厓義梵などがその門から出ている。
月船禅慧(1701~1781)は、奥州田村郡小野村(福島県)の生まれ。幼くして三春町の高乾院の北禅和尚に従って出家し、各地を巡って修行に励んだ。再び高乾院に戻って10年を過ごしたのち、武蔵国永田(横浜市)の宝林寺の東輝庵に移って民衆に親しんで禅を広めた。特に近在の子どもを集めて文芸などの指導にあたり、それを通して仏に帰依するものが少なくなかった。月船のもとに参禅するものは多く、誠拙周樗、物先海旭(もっせんかいきょく)、仙厓義梵などがその門から出ている。