山本竟山 (やまもときょうざん)
山本竟山(1863~1934)は、岐阜の生まれで、名は由定または繇定、通称は卯兵衛。竟山のほかに聾鳳の号がある。幼時、神谷簡斎に書を学び、来日していた清人王鶴笙や陳曼寿にも書法や篆刻などを学んだ。日下部鳴鶴に師事し、さらに明治35年、鳴鶴と親しく交流した楊守敬をはじめて清に訪ねて書法を尋ねた。その後もたびたび渡清し、楊氏の蒐集品をはじめ、数多くの金石法帖を持ち帰り、同時に呉昌碩や顧鶴逸らとも交わった。45年に京都に居を移し、大正2年に書の古典を学習する平安同好会、昭和6年に京阪神の書家を集めた関西書道会の設立を主導、その中心人物として多くの門弟を抱えた。大谷尊由、湯川秀樹も竟山から書の指導を受けた。