川谷尚亭 (かわたにしょうてい)
川谷尚亭(1886~1933)は、高知県安芸郡川北村横山の酒造家、川谷市太郎の三男として生まれた。名は賢三郎、字は大道。横山逸民、南海道人、雲弟と号した。
次兄は書家の川谷横雲。安芸第三中学校卒業後、上海の東亜同文書院に留学したが病で帰郷し、川北村小学校で教鞭を執った。
書ははじめ、小野鵞堂の主宰する斯華会に入って鵞堂流を習い、25歳の時、兄横雲のすすめで近藤雪竹に入門した。大正5年(1916)に文検に合格、高坂高等女学校に勤務したが同7年(1918)に上京し、三菱造船に入社した。これを機に日下部鳴鶴に指導を受けることになる。同門の高弟、比田井天来との交流は特に深く親密であったという。関東大震災の翌年、三菱造船を退職して大阪に移り、甲子書道会を創立し、月刊誌『書之研究』を創刊して書の発展と後進の育成に努めた。著書には『楷書階梯』『書道史大観』がある。