阪正臣 (ばんまさおみ)
阪 正臣(1855~1931)は、名古屋の正緒の子として生まれた。幼名は政之介、字は従叟、号は茅田、別に樅屋、観石などがある。正臣の名は元服の際に師、阪廣雄がつけたものである。
7歳で神官阪廣雄について手習いや和歌を学び始める。華族女学校教授、御歌所の寄人・主事を務め、皇族、貴顕に和歌と書を教授した。
書ははじめ大橋流の仮名を学び、のち漢字は貫名菘翁・王羲之、仮名は行成を好み上代様の古筆を学んだ。御歌所寄人の中でも能書として知られ、大正10年(1921)には「明治天皇御集」の浄書を命じられた。大口周魚、小野鵞堂らとともに上代様復古の気運を高める一翼を担った。