西川祐信 (にしかわすけのぶ)
西川祐信(1671~1750)は、京都の医師の家に生まれる。狩野永納、土佐光祐に画を学んだと伝える。丸顔でなで肩の落ち着きのある女性像を描いた。元禄後期より、京都の版元八文字屋から刊行された浮世草子を中心に、狂言本や評判記など、
膨大な点数の挿絵を手がけた。1723年には「百人女郎品定」で階層や立場の違う女性たちの姿を巧みに描き分け、高い人気を博した。これ以降、絵本を中心に制作をした。また、肉筆画にも秀作を多く生み出し、上方浮世絵界に確固たる地位を築いた。
その画風は京都や大阪のみならず、江戸まで及び、特に鈴木春信に多大な影響を与えた。