今大路悠山 (いまおおじゆうざん)
今大路悠山(1790~1849)は、中林竹洞門下では大倉笠山に次ぐ二番弟子。聖護院門跡の坊官を世襲する今小路家の人物だが、あえて「今大路」を画姓に用いた。今小路家は代々法印位を叙任され、悠山も晩年に法印を名乗った。竹洞画を踏襲した南画山水、花木図を手がけ、わりあい力のこもったスケールを見せる一方、独自の工夫にかけるきらいもある。
今大路悠山(1790~1849)は、中林竹洞門下では大倉笠山に次ぐ二番弟子。聖護院門跡の坊官を世襲する今小路家の人物だが、あえて「今大路」を画姓に用いた。今小路家は代々法印位を叙任され、悠山も晩年に法印を名乗った。竹洞画を踏襲した南画山水、花木図を手がけ、わりあい力のこもったスケールを見せる一方、独自の工夫にかけるきらいもある。