石田幽汀 (いしだゆうてい)
石田幽汀(1721~1786)は、播磨明石の橘家に生まれ、京の町人・石田半右衛門の養子となった。狩野探幽の門人・鶴沢探鯨に師事し、狩野派の技法をもとに写実性と装飾性を加えた独自の画風を確立した。禁裏御用絵師を務め、法眼に叙された。天明6年故郷の播磨で没した。門弟に円山応挙、田中訥言を輩出し、京都画壇の成立に重要な役割を果たした。
石田幽汀(1721~1786)は、播磨明石の橘家に生まれ、京の町人・石田半右衛門の養子となった。狩野探幽の門人・鶴沢探鯨に師事し、狩野派の技法をもとに写実性と装飾性を加えた独自の画風を確立した。禁裏御用絵師を務め、法眼に叙された。天明6年故郷の播磨で没した。門弟に円山応挙、田中訥言を輩出し、京都画壇の成立に重要な役割を果たした。