谷文一 (たにぶんいち)
谷文一(1787~1818)は、医師・利光寛造の子として江戸に生まれる。寛政6年頃には谷文晁の養子になったと伝えられる。谷文晁の長女と結婚し、田安家に仕えた。絵ははじめ谷文晁に、また、四条派、やまと絵なども学んだ。享和3年、谷文晁とともに「石山寺縁起絵巻」の模本の制作に参加。文晁風の山水図や、遠近法を取り入れた風景画、また花鳥画もよくし、上品で軽やかな作風をみせる。
谷文一(1787~1818)は、医師・利光寛造の子として江戸に生まれる。寛政6年頃には谷文晁の養子になったと伝えられる。谷文晁の長女と結婚し、田安家に仕えた。絵ははじめ谷文晁に、また、四条派、やまと絵なども学んだ。享和3年、谷文晁とともに「石山寺縁起絵巻」の模本の制作に参加。文晁風の山水図や、遠近法を取り入れた風景画、また花鳥画もよくし、上品で軽やかな作風をみせる。