中山高陽 (なかやまこうよう)
中山高陽(1717~1780)の祖先は土佐の武士であったが、のちに町人に転じ、高知において阿波屋と称して商業を営んだ。高陽はその家に二男として生まれた。画は若い頃から描いており、彭城百川に学ぶこともあったようであるが主に独学であったらしい。青年時代に京都に遊学したこともあり、宝暦8年江戸に出てからしきりに画を描くようになる。安永9年長年在住した江戸を発して故郷に向かったが、目前にして船中に没したらしい。
中山高陽(1717~1780)の祖先は土佐の武士であったが、のちに町人に転じ、高知において阿波屋と称して商業を営んだ。高陽はその家に二男として生まれた。画は若い頃から描いており、彭城百川に学ぶこともあったようであるが主に独学であったらしい。青年時代に京都に遊学したこともあり、宝暦8年江戸に出てからしきりに画を描くようになる。安永9年長年在住した江戸を発して故郷に向かったが、目前にして船中に没したらしい。