狩野一信 (かのうかずのぶ)
狩野一信(1816~1863)は、江戸の骨董商の家に生まれる。絵は、はじめ3代堤等琳の流れを画家に学んだという。その後、狩野素川に入門したというが、師についてははっきりとしない。神田の易者、逸見舎人の娘婿となるが、家を出て浅草に住んでいる。弘化4年には、浅草寺に扁額<五条橋の牛若丸・弁慶図>を奉納。安政3年に法橋に叙され、同5年には成田山新勝寺不動堂に天井画<雲龍図>ほかを描き、文久2年には法眼に叙された。現在知られる作品は多くはないが、増上寺に奉納された代表作<五百羅漢図>では、生々しく鮮烈な、極めて個性的な描写がみられる。なお、一信が狩野姓を自ら使った形跡がないため、逸見(へんみ)一信とするか、あるいは顕幽斎一信と呼ぶのが妥当ではないかとの提唱がある。