柳沢吉保 (やなぎさわよしやす)
柳沢吉保(1659-1714)は、江戸時代前中期の大名。柳沢安忠の子。江戸幕府の第5代将軍・徳川綱吉の小納戸役から側用人となり活躍。のちに川越七万石の藩主で老中格・大老格、甲府十五万石の藩主へと出世した。綱吉に誠実に仕えた側近とされ、綱吉の没後は隠居した。学問を奨励し、荻生徂徠を登用するなど文治政治を推し進めたことでも知られる。また、和歌も能くし、北村季吟からは古今伝授も受けている。柳沢家では学問や文人画などの文化も盛んで、細井広沢や服部南郭なども召し抱えていた他、柳沢家家老の子息には柳沢淇園もいる。初名は房安、保明。通称は主悦、弥太郎。号は保山。「常応録」などの著作がある。