日允上人 (にちいんしょうにん)
日允上人(1619~1692)は、江戸前期の日蓮宗の僧。本阿弥光瑳の子で、本阿弥光甫の弟。本阿弥光悦にとっては孫にあたる。寛永3年8歳のとき、京都の本満寺で剃髪、仏門に入った。やがて本法寺、法華経寺を経て京都妙覚寺第24世の住持となった。弟子の日耀、またその弟子日達とともに、「允耀達」とよばれ、日蓮宗の中でも重きをなす一派となった。晩年は、洛北鷹ヶ峰に隠棲した。日允の書は、光悦の書風をよく受け継いでいる。筆力が強く、流祖光悦の書と見誤るほどであったという。
日允上人(1619~1692)は、江戸前期の日蓮宗の僧。本阿弥光瑳の子で、本阿弥光甫の弟。本阿弥光悦にとっては孫にあたる。寛永3年8歳のとき、京都の本満寺で剃髪、仏門に入った。やがて本法寺、法華経寺を経て京都妙覚寺第24世の住持となった。弟子の日耀、またその弟子日達とともに、「允耀達」とよばれ、日蓮宗の中でも重きをなす一派となった。晩年は、洛北鷹ヶ峰に隠棲した。日允の書は、光悦の書風をよく受け継いでいる。筆力が強く、流祖光悦の書と見誤るほどであったという。