田中青坪 (たなかせいひょう)
田中青坪(1903-1994)は、群馬県に生まれた日本画家。本名は文雄。はじめ太平洋画会研究所で洋画を学び、のちに小茂田青樹に日本画の教えを受ける。大正13年の院展に出品した「子女図」で初入選したのをはじめ、「春到」で昭和42年に文部大臣賞を受賞するなど院展を中心に活躍。昭和7年には日本美術院の同人となっている。後年は浅間山を主題にした風景画を多く描いた。また、昭和34年には東京芸大教授に就任。日本美術院理事や横山大観記念館理事長なども歴任した。
田中青坪(1903-1994)は、群馬県に生まれた日本画家。本名は文雄。はじめ太平洋画会研究所で洋画を学び、のちに小茂田青樹に日本画の教えを受ける。大正13年の院展に出品した「子女図」で初入選したのをはじめ、「春到」で昭和42年に文部大臣賞を受賞するなど院展を中心に活躍。昭和7年には日本美術院の同人となっている。後年は浅間山を主題にした風景画を多く描いた。また、昭和34年には東京芸大教授に就任。日本美術院理事や横山大観記念館理事長なども歴任した。