黒田清輝 (くろだせいき)
黒田清輝(1866~1924)は、法律を学ぶ為にフランスに留学したが、途中で洋画家を志してラファエル・コランに師事、アカデミックでありながら印象派風の明るい表現の油彩画を習得した。1893年に帰国すると、留学時代に描いた裸婦像を内国勧業博覧会に出品して裸体画論争となるなど、洋画界に衝撃をもって登場し、その作品は新時代にふさわしい洋画として受け入れられていった。1896年若手洋画家を糾合して白馬会を結成し、同時に東京美術学校に西洋画科が設置されると、以降、美術教授として日本洋画のアカデミズム教育に尽力した。