禅は、約1500年前、達磨大師によってインドより中国へ伝えられたとされ、唐時代に大きな広がりをみせた。
日本では鎌倉時代に伝えられ、天皇家・公家・武家にまで広く支持され、日本の社会や文化に大きな影響を与えた。
江戸時代に入ると黄檗宗が伝わるとともに、白隠をはじめとする高僧によって民衆への普及が進んだ。
現代においては日本のみならず、海外の人々の間にもZENとし浸透し始めている。
開祖を栄西とする。
曹洞宗・黄檗宗の二宗とあわせて、禅宗と称される。
鋭く厳しい宗風をもち、禅問答における公安の工夫による自己究明を宗旨とする。
鎌倉初期に臨済宗の教えを中国から伝えたのが栄西であり、その50年後に中国僧・無準師範の禅の教えを日本に伝えたのが円爾弁円、また蘭渓道隆が渡来し禅の教えを伝えた。
栄西の建仁寺、円爾弁円の東福寺、蘭渓道隆の建長寺、無学祖元の円覚寺など14本山を数えるまでとなった。
鎌倉・室町時代に大いに興隆し、室町幕府は五山の制をつくって保護をした。
時代は下り、江戸時代には白隠慧鶴の活動によって厳しく各派の専門道場を守り、早くより近代日本仏教として海外に知られ、高く評価されるようになった。
開祖を道元とする。
臨済宗・黄檗宗の二宗とあわせて、禅宗と称される。
鎌倉末期から室町時代にかけて、幕府や時の権力者、貴族階級の信仰を得たのが臨済宗であるのに対し、曹洞宗は地方の豪族や一般民衆の帰依を受け、地方へと布教活動をのばしていった。
江戸時代になると月舟宗胡、卍山道白、面山瑞方など優れた人材が出て、道元の教えである面受嗣法の精神に帰るべきであると主張した宗統復古の運動や、宗典の研究、出版などが盛んに行われるようになった。
開祖を中国福建省黄檗山の隠元隆琦とする。
臨済宗・曹洞宗の二宗とあわせて、禅宗と称される。
隠元隆琦は戒律を重んじる中国臨済宗の厳格な仏教儀礼を日本に伝え、江戸時代の日本禅宗界に新たな風を吹き込んだ。
幕府のもとにも黄檗宗の高風は届き、隠元禅師のための新寺建立が特別に許され、京都宇治に黄檗山萬福寺が創建される事となった。
萬福寺や長崎唐寺などの黄檗寺院や黄檗僧は、江戸時代における日中文化交流に橋渡しとなり、日本文化の発展に大きく貢献した。
黄檗宗によって伝えられた美術・医術・建築・音楽・印刷・煎茶などは日本に多大な影響を与える事となった。
天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗など禅宗以外の宗派の掛け軸をご紹介致します。
鎌倉時代より現代まで禅文化が日本美術に与えた影響は大きく、多くの芸術家が禅の画題を用いた作品を残している。
日本美術は禅文化の影響をぬきにしては今日の発展はないと言っても過言ではない。
海外における禅
アメリカ・欧州における禅の広まり
インドで芽生えた禅は、やがて中国で花を咲かせ、日本で実を結んだといわれる。
その実がやがて種となって20世紀という時代の風に乗って、アメリカからヨーロッパの大地に播かれる様になった。
明治26年(1893年)、アメリカ・シカゴで「世界宗教会議」が開かれ、東洋の仏教がはじめて布教された。
その会議には日本から4名の各宗派の仏教者が参加した。
臨済宗からは鎌倉円覚寺の釈宗演が出席し、臨済禅の立場から禅の心を説いたのである。
これが海外における公式の場においての禅の講演のはじまりである。
それから4年後には、円覚寺で禅に参じていた鈴木大拙が渡米の機会を与えられた。
大拙は11年間に渡り滞在し、禅の書物の翻訳などを行った。
釈宗演も再度アメリカに渡り、各地で禅の講演を行い、禅仏教がますます広がっていくのである。
鈴木大拙の成し得た業績は、「大乗起信論」の翻訳や、「大乗仏教概論」等の著作により、
禅思想を本格的に広く欧米の人々に知らしめた事である。
戦後1950年に、鈴木大拙はロックフェラー財団の支援のもと再び渡米し、
ハーバード大学、プリンストン大学、コロンビア大学などで仏教哲学や禅思想の講義をしている。
鈴木大拙のこうした功績なくして今日の欧米への禅の普及はあり得なかった。
1957年には、ロックフェラー財団の招待のもとに久松真一がハーバード大学で「禅と禅文化」について講義を行った。
久松真一は、日本の哲学を樹立した西田幾多郎の高弟であり、西田の紹介によって禅に参じた。
西田幾多郎と鈴木大拙とは出身地が同じで、若い頃から親交の深い間柄であった。
そこへ久松真一も加わり、その交流は晩年までつづいた。
久松真一の著である「禅と美術」は英文に訳され、その内容は欧米人に知られ高い評価を受けたのである。
1965年以来、柴山全慶が、鈴木大拙の勧めにより毎年アメリカに渡っている。
6年間に8回渡米し、座禅の実践と禅語録の提唱を行った。
柴山全慶はハワイ大学をはじめ、クレモント大学、カールトン大学、コルゲート大学、その他いろいろな大学で禅を実践した。
釈宗演、鈴木大拙の大きな業績と、またそれに応えた久松真一、柴山全慶などの実践によって今日の禅の現状がある。