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日柳燕石
三行書
Kusanagi Enseki
Calligraphy
掛軸 紙本 136cm×31,5cm(総丈201cm×46,5cm) 箱入り
作品の状態について
画面に少しオレがありますが、鑑賞に影響するオレではないと考えています。
表装は良い状態です。
大廈将傾不可支北風吹折翠楠枝孤忠千歳英雄
怨全節一門天地知聞説睢陽為厲鬼猶欣諸葛有
佳児煌々麟筆嗚呼語表出東方墮涙碑
楠中将賛 柳東章
〈訓読〉
大廈の将(まさ)に傾かんとするは支うるべからず、北風吹き折る 翠楠の枝。
孤忠千歳 英雄の怨(うら)み、全節の一門 天地知る。
聞説(きくなら)く睢陽は厲鬼と為(な)りと、猶お欣(よろこ)ぶ 諸葛に佳児有り。
煌々たる麟筆 嗚呼語(つ)げる、表出す 東方の堕涙の碑。
楠中将賛。柳東章。
〈私訳〉
大きな家が倒れようとしている時は支えきれず、北風が吹くと青々と茂った楠の枝は折れてしまう。英雄が湊川の戦いで殉節した悲しみから長い年月が経っても、楠木正成一族のことは天下にあまねく知れ渡っている。聞くところによれば、睢陽城を死守した張巡は殺されて霊となったといい、諸葛孔明にはよい息子夫婦がいたことに今もなお敬愛の念を抱く。煌々たる歴史家や史官の筆跡、ああ後世に伝え知らせているなあ。東方の堕涙碑を見ると感情が表出する。
◯大廈(たいか) 高く大きな建物。 ◯翠楠 楠氏のこと。 ◯全節 ①全い操。②使節の任を全うする。 ◯睢陽(すいよう) 唐の張巡(709–757)をいう。睢陽は古代中国の地名。春秋時代の宋の地で、今の河南省商丘県の南。唐代の757年、安史の乱の時に、張巡・許遠はここを死守したが、落城して殺された。 ◯厲鬼(れいき) たたりをする死者の霊。 ◯佳児 よい子。ここでは、よい息子夫婦。 ◯煌々 きらきらと輝くさま。明るく照るさま。 ◯麟筆 歴史家・史官の筆。 ◯堕涙碑 〔中国・晋代の羊祜の徳を慕い、その碑を見る者はみな感泣したという故事から〕碑文を見た者はみな涙を流すといわれる碑。
〈解説〉
『呑象楼遺稿』に「懐古十六首 湊河」と題して収まる詩が揮毫されています。遺稿は年次順に配列されているため、天保6年から同11年までの間、すなわち燕石が19歳から24歳までに詠んだ詩だと分かります。多少の異同があり、詩題を「楠中将賛」とした本作品は、青年期に詠んだ詩をのちに揮毫したものです。後醍醐天皇に最後まで忠誠を尽くした武将楠木正成が足利尊氏と戦い殉節した湊川の地を懐古した詩です。詩中の「堕涙碑」は、元禄5年(1692)に水戸光圀公によって建立された湊川の墓碑を指していると思われます。この墓碑は幕末勤王思想を抱く者たちの精神的拠り所となりました。吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、西郷隆盛、木戸孝允らはこの墓前にぬかずいて国事に奔走しました。
燕石は青年時代より各地を遊歴していたので、筆跡も相当に散布していたはずですが、今日では大変少なく貴重です。これは維新前に燕石が投獄されたので、その筆跡などを所持していると何か嫌疑を受けるとして、一部の人は一種の恐怖心に襲われ、故意に焼却したそうです。(Y)
作家について
日柳燕石(1817ー1868)は、讃岐国(香川県)琴平に生まれた幕末の勤王家・漢詩人・侠客。幼名は長次郎、名は政章、字は士煥。燕石・柳東・三白・半楽などと号した。
早くに父を亡くし、14歳から琴平の医・三井雪航...
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