大谷探検隊
西本願寺宗主・大谷光瑞は、明治35年から大正2年にかけて3次にわたって中国聖域探検を行い、その名を世界に知らしめました。
大谷光瑞は、欧州各国が国家的規模の事業として行なっている敦煌などの仏教遺跡調査を知り、衝撃を受けました。
そこで、西本願寺の資本だけで費用を担い、調査を行おうと考えたのです。
蒐集した古写経や膨大な数の仏教関係資料の一部は「聖域考古図譜」にまとめられました。
しかし、大谷光瑞はこの大事業の為に多額の負債をつくってしまいます。
その結果、大正8年に宗主を辞任する事となりました。
大谷光瑞は本願寺寺宝を売却する売り立てを、5度にわたり行いました。
聖域探検で多くの成果を得ましたが、その結果、西本願寺代々の寺宝を手放す事となったのです。
手放された主な作品
・東山御物で本願寺名物であった「牧谿 半身達磨」
・同「牧谿 柳飛燕鷺大幅」
・豊公伝来「聚楽金地四季花鳥屏風」
・「尾形光琳 燕子花図屏風」(現 根津美術館)
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