華頂文秀 (かちょうぶんしゅう)
華頂文秀(1740-1827)は、近江に生まれた江戸後期の黄檗宗の禅僧。黄檗華頂と呼ばれることもある。俗姓は藤谷、号は直鈎。はじめ比叡山で出家して方玉律師に経・律の教えを受けた。その後、禅の道を志し、近江正明寺の中嶽律師や、伊予の湛堂禅師、駿河の白隠慧鶴らに参じた。そして、正明寺の住持や、万福寺二十五世住持を務めた。
華頂文秀(1740-1827)は、近江に生まれた江戸後期の黄檗宗の禅僧。黄檗華頂と呼ばれることもある。俗姓は藤谷、号は直鈎。はじめ比叡山で出家して方玉律師に経・律の教えを受けた。その後、禅の道を志し、近江正明寺の中嶽律師や、伊予の湛堂禅師、駿河の白隠慧鶴らに参じた。そして、正明寺の住持や、万福寺二十五世住持を務めた。