月潭道澄 (げったんどうちょく)
月潭道澄(1636-1713)は、彦根に生まれた江戸前期の黄檗宗の僧。
十二歳の時に京都の瑞石山永源寺で如雪文和尚について出家。その後、洛西嵯峨翔鳳山直指庵の独照性円に教えを受けた。承応三年(1654年)には長崎興福寺にて独照と共に隠元隆琦に参じ、隠元の付き人も約二十年間務めた。寛文十三年(1673年)には、黄檗山萬福寺にて独照の法を嗣ぎ、後に直指庵の二代目住持となった。詩文も得意とし、「禅悦集」「龍巌集」などの語録がある。
月潭道澄(1636-1713)は、彦根に生まれた江戸前期の黄檗宗の僧。
十二歳の時に京都の瑞石山永源寺で如雪文和尚について出家。その後、洛西嵯峨翔鳳山直指庵の独照性円に教えを受けた。承応三年(1654年)には長崎興福寺にて独照と共に隠元隆琦に参じ、隠元の付き人も約二十年間務めた。寛文十三年(1673年)には、黄檗山萬福寺にて独照の法を嗣ぎ、後に直指庵の二代目住持となった。詩文も得意とし、「禅悦集」「龍巌集」などの語録がある。