石里洞秀 (いしざとどうしゅう)
石里洞秀(1756~1827)は、石里家は江戸に住み、代々福岡藩黒田家の絵師だったという。初代洞秀は養父。寛政4年、黒田家に召されて席画を披露し、享和3年には、幼い藩主、黒田斉清のために妖怪変化絵巻を制作したことがしられている。
同年9月以前、法橋に叙された。洞秀の「駒絵図巻」は、陸奥国相馬藩窯の田代家で、駒焼の絵付の手本の一つとして使われた。
石里洞秀(1756~1827)は、石里家は江戸に住み、代々福岡藩黒田家の絵師だったという。初代洞秀は養父。寛政4年、黒田家に召されて席画を披露し、享和3年には、幼い藩主、黒田斉清のために妖怪変化絵巻を制作したことがしられている。
同年9月以前、法橋に叙された。洞秀の「駒絵図巻」は、陸奥国相馬藩窯の田代家で、駒焼の絵付の手本の一つとして使われた。