片山楊谷 (かたやまようこく)
片山楊谷(1760~1801)は、医師・洞雄山の子として長崎に生まれる。4歳で父を失い、安政元年に長崎を離れ、諸国を巡歴。寛政5年、鳥取藩主・池田家の分家、西館の池田冠山に画技を認められ、西館に仕えた茶道家・片山宗把の家を継ぐ。養子入り後も京や兵庫を遊歴、寛政7年には妙法院真仁法親王、また光格天皇に召されて絵を描いた。
絵の師は不詳だが、清時代の画家・費漢源の画法を学んだと伝える資料がある。長崎で身につけたであろう唐絵の画風を取り入れ、中国色の強い、濃密で奇抜な作品を描いた。