尾竹竹坡 (おたけちくは)
尾竹竹坡(1878-1936)は、新潟県に生まれた明治-昭和前期の日本画家。本名は染吉。三人兄弟の次男で、兄は尾竹越堂、弟は尾竹国観。歴史画を得意とした。4歳から笹田雲石に師事して南画を学んだ。のちに上京して川端玉章、小堀鞆音に教えを受ける。文展や日本美術協会展、日本絵画協会展などに出品し、明治42年の文展第3回に出品した「茸狩」をはじめ、文展第4回の「おとづれ」、文展第5回の「水」、文展第8回の「豪華」等が受賞している。明治38年には、尾竹国観・安田靭彦・今村紫虹らと大同画会を設立し、その後、同会は国画玉成会と合流したが、明治41年に岡倉覚三と衝突したため脱退した。その後も、文展、帝展に出品を続け、帝展無鑑査となった。また、大正2年には兄・越堂、弟・国観と共に八華会を結成して展覧会を開催。大正4年に美術行政制度を問題視して衆議院議員選挙に立候補するも落選。大正8年には前衛グループ八火会を結成し第三回まで展覧会を開いた。