荒木寛畝 (あらきかんぽ)
荒木寛畝(1831-1915)は、江戸に生まれた幕末-大正時代の日本画家。
荒木寛快に教えを受け、その養子となり荒木姓を継いだ。のちに土佐高知藩主・山内容堂の御用絵師となったが、明治維新後は洋画に転身し川上冬崖らに油絵を学んだ。一時は、五姓田芳柳、高橋由一と共に油絵三名家と称されたが、その後、日本画に復帰した。
花鳥画を得意とし、東京美術学校教授や帝室技芸員も務めた。
門下生には、荒木十畝、池上秀畝、西沢笛畝などがいる。
本姓は田中。幼名は光三郎。名は吉。別号に達庵。
「孔雀図」「菊花図」「芦辺遊鴨図」などの作品がある。