木食応其 (もくじきおうご)
木食応其(1536-1608)は、近江に生まれた安土桃山時代の真言宗の僧。
はじめは武士であったが、高野山で出家し、木食苦行をつんだ。豊臣秀吉の信頼が厚く、高野山の中興に寄与し、興山寺を創建した。連歌は里村紹巴から学び、連歌の式目『無言抄』を著した。
初名は日斎、字は順良、楚仙と号する。
木食応其(1536-1608)は、近江に生まれた安土桃山時代の真言宗の僧。
はじめは武士であったが、高野山で出家し、木食苦行をつんだ。豊臣秀吉の信頼が厚く、高野山の中興に寄与し、興山寺を創建した。連歌は里村紹巴から学び、連歌の式目『無言抄』を著した。
初名は日斎、字は順良、楚仙と号する。