木食五行 (もくじきごぎょう)
木食五行(1718-1810)は、甲斐の生まれ。前半生は明らかではないが、木喰戒を受けて、50代半ば以降、北海道から鹿児島まで、全国を巡歴した。
その「微笑仏」と称される木彫は全国各地にのこされて庶民信仰の対象となっている。
しかし、あらためて木喰の存在が「発見」されたのは、日本民藝館の創立者・柳宗悦によってであった。大正13年、山梨県の郷土史研究家の家を訪ねた柳は、そこで偶目した木喰仏に心奪われ、以降精力的調査を始める。
木食五行(1718-1810)は、甲斐の生まれ。前半生は明らかではないが、木喰戒を受けて、50代半ば以降、北海道から鹿児島まで、全国を巡歴した。
その「微笑仏」と称される木彫は全国各地にのこされて庶民信仰の対象となっている。
しかし、あらためて木喰の存在が「発見」されたのは、日本民藝館の創立者・柳宗悦によってであった。大正13年、山梨県の郷土史研究家の家を訪ねた柳は、そこで偶目した木喰仏に心奪われ、以降精力的調査を始める。