安田漫々 (やすだまんまん)
安田漫々(1775-1830)は、山梨県に生まれた俳人。
父は医師で俳人でもある早川石牙。名前は広海、初名は円橘、のちに二代多善を称した。俳名は漫々。
師である賀川法橋と共に光格天皇の皇子降誕に奉仕し、長崎で蘭法を修め、現在も行われるバジリ膏の創製者である。甲州が葡萄の名産地になったのは漫々の影響が大きいと言われている。
安田漫々(1775-1830)は、山梨県に生まれた俳人。
父は医師で俳人でもある早川石牙。名前は広海、初名は円橘、のちに二代多善を称した。俳名は漫々。
師である賀川法橋と共に光格天皇の皇子降誕に奉仕し、長崎で蘭法を修め、現在も行われるバジリ膏の創製者である。甲州が葡萄の名産地になったのは漫々の影響が大きいと言われている。