土蔵栄松 (どぞうえいしょう)
土蔵は雪舟等楊とほぼ同時代に活躍した画家。
永享12年(1440)から寛正4年(1463)にかけて、相国寺蔭凉軒主の日記などにその画業が記された絵師で、「古画備考」には、南都の人でもあるともいう。
足利幕府と関係があり、幕府の命により千手観音厨子絵、相国寺山門の羅漢の彩色等に従事しているところから絵仏師的な性格があったと思われる。
土蔵は雪舟等楊とほぼ同時代に活躍した画家。
永享12年(1440)から寛正4年(1463)にかけて、相国寺蔭凉軒主の日記などにその画業が記された絵師で、「古画備考」には、南都の人でもあるともいう。
足利幕府と関係があり、幕府の命により千手観音厨子絵、相国寺山門の羅漢の彩色等に従事しているところから絵仏師的な性格があったと思われる。