大久保一丘 (おおくぼいっきゅう)
大久保一丘(?~1859)は、詳細は不明だが、遠州横須賀藩で長くお抱え絵師をつとめた。遺品の大半は、円山四条派風もしくは狩野派風だが、独特の洋風画も残している。司馬江漢の「吉野紀行」に「大久保惣治郎」が見送りに来たとあることから、江漢に師事した可能性が考えられる。また、横須賀藩に仕えた蘭学者、高森観好の養子であった時期があり、観好もまた西洋画法に通じていたと思われる。一丘の洋風画に関する知識は、江漢や観好を通じて得たものと推測できる。
大久保一丘(?~1859)は、詳細は不明だが、遠州横須賀藩で長くお抱え絵師をつとめた。遺品の大半は、円山四条派風もしくは狩野派風だが、独特の洋風画も残している。司馬江漢の「吉野紀行」に「大久保惣治郎」が見送りに来たとあることから、江漢に師事した可能性が考えられる。また、横須賀藩に仕えた蘭学者、高森観好の養子であった時期があり、観好もまた西洋画法に通じていたと思われる。一丘の洋風画に関する知識は、江漢や観好を通じて得たものと推測できる。