大石順教 (おおいし じゅんきょう)
大石順教(1888ー1968)は、大阪道頓堀に生まれた日本画家・尼僧。もとは大阪堀江の名妓で、本名はよね。
17歳の時、舞踊の修行を指導していた養父中川万次郎の狂乱による「堀江六人斬り事件」に巻き込まれ、両腕を失いながら奇跡的に生還。巡業芸人生活、日本画家山口草平との結婚、二児の出産、離婚などを経て、高野山金剛峰寺に入り得度、法名順教を授かる。身体障害者の相談所「自在会」を設立し、身体障害婦女子の自立教育につとめた。
一方、口で筆を執って書画を能くし、昭和30年(1955)に口筆「般若心経」で日展入選。同37年には東洋初の世界身体障害者芸術家協会会員となる。