鄭嘉訓 (ていかくん)
鄭嘉訓(1767〜1832)に沖縄県で活躍した書家。
和名は古波蔵爾方(こはぐらじほう)、号を泰橋(たいきょう)といい、鄭嘉訓は唐名である。
中国福州から帰化した唐栄三十六姓の末裔である。
1796年から2年間、中国福州に学ぶ。北京の国子監で学ぶ官費留学生に対し、こちらの方は私費留学生であった。
1806年は、尚王即位の謝恩使に随行して江戸へ上った。
1816年には、藩主の招きを受け、約1年半の長期間にわたって鹿児島に滞在して藩士の書の指導にあたった。
この年、久米村最高の位階である紫金大夫となり、紫冠をいただく。
1824年、久米村の最高官である総理唐栄司となる。
その書は琉球随一であり、西郷南洲もその流れをくむとされている。