高屋肖哲 (たかやしょうてつ)
高屋肖哲(1866-1945)は、岐阜県に生まれた日本画家。晩年の狩野芳崖に教えを受け、岡倉秋水・岡不崩・本多天城と共に芳崖四天王と称された。芳崖の没後には東京美術学校に入学し、卒業後は専門画学部教諭として石川県工業学校に2年ほど勤めるが退職。明治33年には東京美術学校図案科の助教となるが、翌年退職し、この頃から画壇との関わりをほとんど持たなくなる。その後は、自らを仏画師と称し、晩年は各地を放浪して制作に打ち込んだと伝えられている。観音像などの仏画を多く描いたが、大正12年の関東大震災で作品の多くが焼失しており現存する作品は多くない。