天眼智弁 (てんげんちべん)
天眼智弁(1737-1804)は、信州に生まれた臨済宗の僧。
井山宝福寺の大休慧昉に師事して印可を得る。のちに信州上諏訪にある温泉寺に移り大衆にも教えを伝えた。一時、大道慧雲の求めに応じて南禅僧堂師家でも指導にあたった。その後、塩山向獄寺に退くが、その復興に力を尽くしたことで、向獄寺の中興といわれている。別号に吸江軒・鵞湖など。
天眼智弁(1737-1804)は、信州に生まれた臨済宗の僧。
井山宝福寺の大休慧昉に師事して印可を得る。のちに信州上諏訪にある温泉寺に移り大衆にも教えを伝えた。一時、大道慧雲の求めに応じて南禅僧堂師家でも指導にあたった。その後、塩山向獄寺に退くが、その復興に力を尽くしたことで、向獄寺の中興といわれている。別号に吸江軒・鵞湖など。