文英清韓 (ぶんえいせいかん)
文英清韓(1568-1621)は、伊勢に生まれた臨済宗の僧。
文禄の役の際、祐筆として加藤清正につき朝鮮半島に渡って活躍。のちに東福寺、南禅寺に歴住。豊臣秀頼に求められて起草した方広寺の梵鐘の銘文に含まれた「国家安康」の文字が、徳川家康と豊臣家の対立に発展するきっかけになったと言われている。
文英清韓(1568-1621)は、伊勢に生まれた臨済宗の僧。
文禄の役の際、祐筆として加藤清正につき朝鮮半島に渡って活躍。のちに東福寺、南禅寺に歴住。豊臣秀頼に求められて起草した方広寺の梵鐘の銘文に含まれた「国家安康」の文字が、徳川家康と豊臣家の対立に発展するきっかけになったと言われている。